旅と紅茶

どこかを旅するとき、カフェがあるとなぜかほっとするもの。旅先で疲れた体を休めるように、座って窓の外を見ながら一息つく。そんなときの友は珈琲が一般的かもしれないが、紅茶も各地の味があって良いものである。実は世界でいちばん飲まれている飲料は紅茶であることはあまり知られていない。紅茶の飲み方は、地域によって様々であるが、その地域地域で出会った紅茶を旅とともに愉しむ。そんな旅と紅茶にまつわる話をお伝えしていきます。

フィーユ・ブルーディレクター:Y.WATABE

第4回 溢れる茶の愉しみ 香港

最近の尋常でない日本の夏の暑さを考えると、かつて、香港に抱いていた特有の厶ワッとする、暑さのイメージは今や特別な印象ではなくなった。

到着する空港はどこまでも広大でモダンであり、降り立った瞬間、かつての香港のイメージと違った世界に身を置くこととなった。イギリスからの返還以前に来た時の印象では飛行機を降り立った瞬間から東南アジアを代表するような暑さと湿気、そして街に充満する匂いに大いに異国の刺激を受けたものである。

街の中をすれすれに降りていく飛行機や山に向かって降りる滑走路は当時の香港旅行の名物のひとつでもあった。30年も前の事だから、今の中国を思えば、大きく変貌を遂げていて当たり前なのだが、どうしてもあの頃のイメージが頭の中から離れない。モダンになった現代の香港においても、旅において望むのは、勝手な言いぐさだが、やはり食であり、生活感が溢れる人々の活気であろう。

その昔のイメージで言えば、狭い路地に先が見えないくらい突き出した看板の下に、たくさんの人々が行き交い、屋台や店の軒先から食材や料理があふれ出し、それが街の匂いになっていたのだとも思う。今も活気そのものは変わっていないのであろうが、都会としてのスマートな進化の波は香港にしても同様で、食べ物の匂いが辺りを漂うようなことがないばかりか、クリーンで近代的なビルやブランドショップが建ち並ぶ。九龍の中心地あたりでは渋谷か銀座辺りにいるような感覚を受ける。香木が集積地ということで香港という名ができたということを最近知ったのだが、個人的には美味しい料理やお茶がたくさんあるからだと思っていたぐらいなのだから、そもそも自分のイメージというものは、いかにいい加減な事か。

とにもかくにも数年ぶりの香港は、移動もなにも、何もかもスムーズで、大陸から来たらしい大勢の中国人観光客の存在も相まって、中国の勢いと変化を実感させられる。現代のネット社会では日本からでも列車のチケットが取れるし、移動に関しては何も問題ない。空港からエアポートエクスプレスで20分もあれば九龍駅に到着する。今や日本からは日帰りでも可能かしらと思わせられるほど近くなったことを感じる。

溢れる香港

香港という街は、とにかく情報量が多い。狭い地域に建物や車、2階建てバス、そして道路にこれでもかというくらいに張り出した巨大な看板があふれ、道路を埋め尽くすほどの観光客とおぼしき人々が行き来する。街が吸収しきれずに何もかもが溢れている印象である。しかし、その中には様々な茶の世界が息づいている。イギリス式、中国式、香港式、台湾式など世界でも例を見ないほど様々な様式が日常的にそろっている。一見派手な印象の中華や香港スタイルの料理の数々の影に隠れがちであるが、ここ香港ならではの茶の世界が根付いている。

意外なのは、イギリスの植民地であった割に紅茶を見かけることは少ない。もちろんホテルでは紅茶は当たり前なのだが、街中では紅茶のショップはみない。

さて、香港に来たからにはまずはペニンシュラだ。アジアを代表するペニンシュラのアフタヌーンティーは宿泊者でなければ予約できないため、観光客は並ぶしかない。並ぶにしろ覚悟が必要だ。出遅れるとあっという間に長蛇の列の後方に追いやられる。僕たちは今回幸運にも会社のメンバーで体験することができた。

半島酒店 品味泰國

美しい装飾が施された柱が整然と並ぶ、高い天井の“ザ・ロビー”。生演奏のバロックが静かに流れる中、その時は厳かに始まった。絵に描いたような3段スタンドがテーブルのセンターに置かれ、給仕のウエイターが銀製のティーポットを同席したメンバーが思い思いに頼んだブレンドであったにも関わらず、何も聞かずに当たり前のように頼んだ人の前にきっちり配置していく。僕はスタンダードなペニンシュラ・ブレックファーストをチョイスした。

アフタヌーンティーのセット自体は奇をてらったものでなく、極めてオーソドックスな組み合わせであるが、それがかえって伝統、クラシック、格式、マナーなどおよそ英国式アフタヌーンティーで考えられるワードがすべて思い起こされるほど、スタンダードであり、オーセンティックな世界であった。

正統派のスコーンから始まり、サンドウィッチ、スイーツまでひとつひとつ確かめるように味わう。紅茶は銀製ティーポットにたっぷりのリーフが入っており、中身が減ると、給仕のスタッフがさっとお湯を足していく。銀製のストレーナーを使用し、ティーカップに注いでいくのだが、さすがにリーフの質は良く、しっかりした紅茶が楽しめる。注ぐたびに濃さが変わるのはご愛嬌だ。

とにかく、表の喧騒から離れ、静かにゆったりした時間をおくるのは、長い距離を移動してきた身体を落ち着かせるのにも具合が良い。全てを食べ切って、飲み切って、我々は満足し、そしてそれでも名残惜しそうに席を立った。

ペニンシュラを楽しみたい向きには、地元の知人に尋ねたところ、午前中が狙い目とのこと。アフタヌーンティーセットそのものはないが、ケーキやスコーンはあるので、紅茶は全く同じものを飲め、しかも観光客のいない本来のラウンジを楽しめるのでお勧めである。

香港の街を楽しむ

ペニンシュラから一歩、外に出ると、そこは九龍の中心地、一気に活気に満ちた喧騒と人の波に身体をさらわれる。人々はいったい何処に向かっているのだろう。溢れるようにネイザンストリートに並ぶブティックを境に、現れては消えていく人の波を見つめ、しばしボーッとする。バブル時代の日本もこんな感じだったかな、などと何の根拠も意味もないことを考えながら、街を徘徊する。流石に中国茶ショップはあちらこちらで目にする。年代物の普洱茶の丸い包みがウインドウを飾り、黒茶、青茶、白茶、花茶などの他、多くの茶器が所狭し並んでいる。店内には必ず茶席があり茶盤や茶器が整然と並び、気軽に試飲が出来る。台湾系烏龍が中心の茶藝館も多くないが、あちらこちらにある。普段目にしない豊富な種類の急須に目移りしながら、ウインドウショッピングをしつつ中国茶にまで嵌まったらキリがないと、慌てて目を背ける。

ほどなく、スターフェリーに乗り、香港島の繁華街を巡り、昔と変わらないところをひとつひとつ見つけては、香港ノスタルジーな気持ちに浸る。東京も香港と変わらず暑いとは言っても、海に囲まれた香港はやはり湿度が高い。移動するたびに茶席に座りたくなった。

香港島ではやはり変わらぬ雰囲気のマンダリンホテル、“クリッパーラウンジ”に立ち寄ってみる。こちらもペニンシュラと比べて遜色ないアフタヌーンティーで楽しませてくれる。最近は日本のみならず、イギリスでも、様々に工夫された新世代のアフタヌーンティーが増えている時代だが、香港でもモダンな新しいホテルではいろいろと挑戦しているようである。しかしながら紅茶を美味しくいただくという点ではクラシックな味わいに勝るものはなかなかない。マンダリンでも三段スタンドに銀のティーポットと、しっかり押さえられている。こちらでは名物のローズペダルジャムでスコーンをいただきながら、ダージリンをいただく。長い時間を経て作られた趣のあるラウンジ内はただデザインすれば作れるものとは違う重厚感が備わっている。こちらは並ばずに入れるのでお勧めである。

新しい茶の波

街に目を向けると、香港も他の地域と同様、新しいコーヒーショップが増殖傾向にあるらしい。スターバックスのみならず街のあちらこちらで様々なおしゃれカフェに出くわす。
そんな中で、香港の人々や旅行者にも人気になりつつある、お茶スタンドも増えてきているようである。スタイルとして正式な分類があるのかどうかわからないが、いわゆるフルーツ&ティーのドリンクバーのようなもの。これが紅茶だけでなく、中国茶、緑茶、紅茶などベースになる茶が選べ、好きなフルーツをミックスするスタイルである。もはやここにはお茶の垣根はない。それどころか、お茶そのものが見えないのであるが、実際飲んでみると、そこには存在していた。こうしたお店がそれぞれのコンセプトを持ってあちらこちらに出店している。

数ある中でも、派手さで他店舗を引き離す、インスタ映えNo1のお店が“flamingo bloom”である。フラミンゴの浮輪やら飾りやら絵やら所狭しと、こちらも溢れている。茶にはこだわっているようで、烏龍茶やらジャスミンティー、プーアル茶、そして紅茶など選べるようである。マンゴーとジャスミン茶のミックスをいただいたのだが、なかなかどうして、単なるジュースを越え、しっかりしたベースのお茶が飲み易さを演出していて、なかなか美味である。香港のような気候では、こうした味わいは当然相性が良い。何れ日本でも見ることになるのだろうと思いつつ、お店を後にした。

九龍にもどると、今どきの夜景を楽しむ。以前の記憶と違う都市かしらと真剣に思うほど発展したビル群は、それだけで、現在の中国の隆盛を思わせられる迫力である。百万ドルの夜景といわれた昔のビクトリアピークからの夜景の記憶をたどると、そこには確かに人々の生活がひとつひとつの光の中に感じられたような記憶があるが、今はテーマパークのように壮大な演出を施されたレーザー光線やら流れるような光の元には、美しくはあるが、人の生活感をそこには全く感じない。

香港式を楽しむ

光のショーもそこそこに、小腹が空いたところで茶餐廳(チャーチャンティン)に向かう。恐らく今日のお茶巡りの終着点であろう。茶餐廳とは中華と違う香港式ダイナーで香港独特のハイブリット料理を出している喫茶店と大衆食堂を足したようなお店である。香港人の台所として町中至るところにあり最も香港らしい香港といえる。実は紅茶を飲むのであれば、このタイプのお店が最も香港らしい紅茶を飲めるであろう。

メニューは豊富だ。雲呑麺や簡単な点心、トーストに至るまで、朝から夜まで賄えるメニューを用意している。日本人にとって出色なのは出前一丁がメニューとしてあることか。しかも人気のメニューであるから面白い。麺好きである自分の好奇心に勝てず、早速食してみた。美味しい。確かに麺は出前一丁であろうが、どうもスープや具はお店のアレンジで、即席麺の雰囲気はまったくない。それに合わせるのがミルクティーだ。香港のミルクティーは定評がある。牛乳ではなく、エバミルクを使用しているのが特徴であるが、牛乳を使ったそれと比べ、乳臭くなくコクがあり、美味しい。聞くと昔は冷蔵庫などない中でエバミルクを使ったのが始まりとのことだが、結果、香港人にとって人気のミルクティーになった。

最近お店によっては置いている事が少なくなった飲料として長年定着している鴛鴦茶(えんようちゃ)というのもある。これはお茶とコーヒーが組み合わさったミルクティーであるが、お茶については紅茶や中国茶など様々であるらしい。珈琲とお茶がブレンドされているというと少しびっくりするのだが、香港では一時期大流行したというから、それなりに良さがあるのだろう。スーパーマーケット等に行くと粉末化された鴛鴦茶が積まれているのだから、今も人気があるようだ。きれいになった香港もよいのだけど、茶餐廳で飛び交う独特のイントネーションの広東語をBGMにしてミルクティーをすすりつつ「あぁ、香港にきたなぁ。」と思えるこの一瞬が良いのである。残念ながら、今回は僕が行った店では美味しい鴛鴦茶にはありつけなかったのだけど。
それでも香港には茶が溢れていた。