旅と紅茶

どこかを旅するとき、カフェがあるとなぜかほっとするもの。旅先で疲れた体を休めるように、座って窓の外を見ながら一息つく。そんなときの友は珈琲が一般的かもしれないが、紅茶も各地の味があって良いものである。実は世界でいちばん飲まれている飲料は紅茶であることはあまり知られていない。紅茶の飲み方は、地域によって様々であるが、その地域地域で出会った紅茶を旅とともに愉しむ。そんな旅と紅茶にまつわる話をお伝えしていきます。

フィーユ・ブルーディレクター:Y.WATABE

第3回 紅茶の桃源郷 スリランカ ①

到着前、飛行機の窓から地上を俯瞰するとジャングルのような深い森林が永遠と続き、自然の豊かさが伺いしれる光景が目にとまる。かつてインド洋の真珠、光り輝く島とかつて謳われたスリランカである。

スリランカといえば、多くの人が紅茶を思い浮かべるに違いない。スリランカティーではなく、大英帝国の植民地時代からの名残であるセイロンティーであるけども。インドと並んで今や世界中の紅茶文化になくてはならない国であり、スリランカがなければ、イギリスの文化も変わっていたかもしれない。それほどセイロンティーは近代紅茶史において重要な役割を果たしてきており、未だにに紅茶の中心となっている国であることは間違いない。茶というのは世界中にあるけれども、幼少時代をリプトンティーなどで育ってきた、たいていの日本人は、美しい紅い水色と甘い香りのお茶を紅茶と認識しているが、それは多くの場合、セイロンティーか、もしくはそのブレンドである。英語ではブラックティーというが、茶葉の色を指して呼ばれたのが最初といわれている。しかし日本では紅茶は紅い茶なのである。

その紅い茶の源、スリランカは、着いてみると今まさに発展途上で、拍子抜けするほど紅茶のイメージはない。コロンボなどの街は人が多く、ビルが多いが、それ以上に建設中の工事現場の多さに驚く。湿度が高く、赤道に近いため気温も高い。早く茶畑を見たいとはやる気持ちを持つ間もなく、コーディネイターとドライバーと合流後、すぐ空港を後にして、郊外へ車を飛ばすことになった。そう今回はティーハンターの先輩達との茶園巡りであるから、端から観光のような余裕を持たせてはもらえないのである。

ティーファクトリーを目指して

コロンボから30分も車で走るとすぐ緑に囲まれた景色となる。国土の面積は北海道の8割ぐらいとのことだが、東西南北の地域でガラッと気候が変わってくる。紅茶の産地は島の中央部からほぼ南の地域に点在している。それほど広くないエリアに思えるが、茶園を廻ろうと思うとそう簡単ではない。一部高速道も整備されているが、内陸に入ると、ジャングルのような深い森や山が続き、道路は舗装されているところはありがたいが、ほとんどは土のでこぼこ道で、しかも狭い。普通車がやっとすれ違えるような道であったり、屋台や食堂のようなお店が道路脇にあるような道は、例外なく犬が寝ていたりする。とてもではないが、運転に自信がある人でも、途端にいやになる道程だろう。1時間も走ると、所々に紅茶の工場が見えてくる。しかし、見えていたり、看板があるからといって簡単たどり着けるわけではない。迷路のように別れた、標識もない道を正しい選択によって導かれた先に目指す工場があるのだ。

現地のドライバーは何の逡巡もなくただ目指す道を突き進む。後ろにいる私たちは、荷物にように荒れた道から来る振動に耐えながら、把手をつかみ投げ出されないよう、早く着くことを祈りながら、その時を待った。日本を出る時からティーブレンダーの熊崎君から、「工場についたら、その香りを忘れないようにしてくださいね」と何度も言われたのを思いだす。

最初についたのは、ルフナの工場で、スリランカでは、最も南部にある、比較的低地の産地である。セイロンティーは現在は味とその特徴から産地を7エリアに分けられている。その最も低地にある地域なのであるが、コクが強く重めの渋味をもった深い紅色でミルクティーなどに合うのが特徴だ。いよいよ車を降りて、外の空気を思いっきり吸い込むと今まで嗅いだことのない紅茶の乾いた香りとも違う、果汁のような強い芳香が漂ってきた。これが紅茶工場の独特の香りなのか。紅茶工場といっても、ここスリランカは特別。工場の規模も茶畑もスケールがこれまで見てきたものと違う。そして辺りに一帯に漂う香りである。見上げると白い細長い3~4階建てくらい建物が建っている。後で知ったが、これはスリランカの工場の基本形である。近代的というより、効率的に組上げられたといった佇まいである。上から萎凋、揉捻、発酵とスムーズに大量の茶葉を移動できるように流れに沿って作られている。上の階にはフロアいっぱいのプールのような萎凋棚が整然と並べられ、大量の茶葉が呼吸をするように水分を発しながら、次の工程に行くのを静かに待っている。そしてその瞬間がきた茶葉達は細い穴から順番に下の階にある波板のような刃が仕込まれた揉捻機へそのまま落ちていき発酵が進むように揉まれていく。茶葉は工程を経る毎に華やかな香りへと変貌を遂げていく。そして発酵や乾燥を経て、紅茶が完成する。

産地で飲む紅茶の味わい

でき上がったばかりの紅茶というのは、また特別である。時間が経つほどに消えてしまう香りがそこにはある。これを楽しむためには、スリランカに来るしかない。どの工場にもテイスティングルームが据え付けられ、訪れる来訪者がその時に揃う原料をテイスティングできるようになっている。その時に使用する器は決まっていて必ずテイスティングカップである。バイヤーや鑑定士の人たちが、世界中の茶葉を比較できるように同じ条件で確認できるようにした器である。その器が7〜8個、多い時には20個ほど並び、その場所で加工された茶葉達の競演が始まる。ひとつひとつの特徴を確かめるようにひとつ口に含んでは吐き出し、解析し、次の紅茶に移る時には前の紅茶の面影を忘れなければならない。水は工場によって違うがたいていペットボトルを使用している。水が違うのでは味も変わってきそうだが、同行のティーブレンダーは試飲をしながら言い放った。「頭の中で水の違いを計算してください」「この味の部分は引き算してください」。美味しいか不味いかで、この世の中を分けたい私としては、鑑定の仕事は苦痛だと心に思った。そして私にもいよいよ紅茶の国で紅茶を飲む瞬間が与えられた。強いほどの味と香りが口の中を駆け巡る。試飲の際の液体の濃度はスプーン1杯程で判断するため一般的には濃い目である。( 3g〜5g・150 cc)したがって味や香りの成分、それぞれが強く主張してくるが、これこそ新鮮さの証でもあるのだろう。

その後、工場のゲストハウスに呼ばれて、もてなされたクッキーのような素朴なお菓子と紅茶は本当に美味しいと思った。しかしながら、ここは早々にお暇しなければならない。この日だけで4つ工場を回らなければならないのだ。また例の荒れた道へ逆戻りである。紅茶道は厳しいものである。クルマで酔いそうな同行者を横目で見ながら、道端のスリランカの人々の生活を走るクルマの中から垣間みる。山間部の人々は男性よりも女性の方が働き者であるらしい。道をのんびり歩いていたり、話し込んでいるのは男達だ。女性は必ず荷物を持って歩いている。(頭に乗せている。)時折見える茶畑では、一所懸命女の人が茶葉を手でつんでいて、頭に引っかけた袋に詰め込んでいる。スリランカでは、今でも手摘みだ。茶葉の基本である一芯二葉を次の芽が成長するように、胚の部分を残すようにきれいに摘みとる。だからといって決して遅いわけではない。正確に美味しい部分だけを摘みとるのである。機械ではこうは出来ない。結果、品質の良い、美味しい紅茶ができ上がる。機械で摘んでいる国よりこの時点で確実に美味しさに差をつけているのである。

スリランカのティースタイル

さて、紅茶はどこでも飲めるのだろうか? スリランカの人たちにとっても紅茶はなくてもならない物である。しかしどこでも飲めるかと思えば、都市部ではあちらこちらにあるレストランも紅茶の農園が多くあるエリアでは、ほとんどが山間部な為、旅行者は難しい。それとスリランカの人々が好むのは、キリテーという泡立ちミルクティーである。紅茶に砂糖と粉ミルクがたっぷり入る。ちょっと見た感じでは私たちが飲む紅茶とは違う。食事に寄ったレストランでキリテーの作り方を教えてもらった。プラスティックの輪に布を貼った、まるで金魚すくいのポイのような形のフィルターに茶葉をいれ、砂糖と粉ミルクをたっぷり入ったカップに、お湯を注ぎ紅茶を抽出。さらにもう一つ用意してあったカップにそれを高いところから注ぎ入れ、泡立て、それを何回か繰り返すことで、表面に泡がこんもり膨らんだキリテーが出来あがる。スパイスの効いたインドのチャイとも少し違う、スリランカならではの飲み物であるが、メインがほぼカレーのこの国でも食事の後に心地よい。聞けば、必然性があってこのようになったらいしいのだが、まず酪農が盛んでない国であること。流通もまだ発展途上であり、暑い国とは言え、冷蔵庫などの普及率もまだ低く、液体のミルクが簡単に手に入りにくかったこともあり、粉ミルクが普及したそう。また紅茶自体も、まともな茶葉は売り物であって、地元の人々や生産者には細かいダストと呼ばれる茶葉が飲まれることが多いため、注いで抽出してしまうようになったとのこと。納得である。

しかし、山の中の道端にあった、このキリテーを体験させていただいたレストランの料理はうまかった。コーディネイターの勧めで立ち寄ったのだが、さすが地元の人間が勧めるだけのことはあった。スリランカでは、都市部以外ではレストランは少ないため、郊外に出るとほぼ毎回ホテルでのカレービュッフェが定番であるが、これが不味いわけではないのだが、どこも同じようなメニューであり、特出した味もないので、2日もすると飽きてしまう。しかし、道端のレストランでは、造りは屋台か日本の昭和の駄菓子屋みたいな掘っ立て小屋のようなものであるし、コンロも鉄でできた、薪を燃やすようなものであったが、どれも出来立ての一級品の味わいである。ホテルの食事に飽きたら道端のレストランに是非挑戦してみて欲しいものである。



ルフナの産地からめぐって、ディンブラやウヴァ、ヌワラエリア、キャンディにいたるまで、北に向かって一日で行ける距離である。しかしながら前述した悪路により中々前に進まない。複雑な山々に囲まれ、決して移動に恵まれない地域であるが、果たしてこの地形がもたらしている気候が紅茶にどれほどの恩恵を与えているか巡るほど知ることになる。そして各産地で1日に3〜4件の工場を巡りながらこの旅は続くのである。