旅と紅茶

どこかを旅するとき、カフェがあるとなぜかほっとするもの。旅先で疲れた体を休めるように、座って窓の外を見ながら一息つく。そんなときの友は珈琲が一般的かもしれないが、紅茶も各地の味があって良いものである。実は世界でいちばん飲まれている飲料は紅茶であることはあまり知られていない。紅茶の飲み方は、地域によって様々であるが、その地域地域で出会った紅茶を旅とともに愉しむ。そんな旅と紅茶にまつわる話をお伝えしていきます。

フィーユ・ブルーディレクター:Y.WATABE

第5回 自然が導く美味しさの道標 山と紅茶

清らかで甘く透明感のある紅茶を山で楽しむ

登山の愉しみ

霧ケ峰

ここ数年、日本ではブームといわれるほど登山の人気が高い。山ガールなどの言葉が出来るぐらいなのだから、最近は何でも女性が牽引することでブームにつながるようだ。おひとり様山ガールや中年男性はどこででも見かけるが、なぜか若いおひとり様男子はあまり見かけることはない。山を制覇するような男のロマンなどと言う言葉ははるか昔に無くなったようである。

かくゆう私も古いのか今だ登山を愛するひとりである。登山の魅力は人それぞれ、様々であるように思うが、少しでも山に登った経験のある人間でないと、どうにも伝わりづらい。きつい、危険だ、というのが、登山と縁のない人にとっての大方のイメージなのではないだろうか。
あくまで個人的な感想ではあるが、私にとって最大の魅力は文明や都会の中で暮らしていると忘れてしまう人間の本能的な部分を山では取り戻すことが出来る事だ。

苗場山 山頂池塘

普段、生活している社会ではマシーンや情報の中に埋もれ、歯車のように自分が見えなくなってしまう時がある。
人里離れた自然の中で人工的な物やメディアのような情報から隔絶され、鳥のさえずりや風の音、樹々の葉が擦れる音で満たされた静けさの中、孤独を満喫できるというのは、筆舌に尽しがたい魅力である。
自然の中に身を置いている間は、身体を動かす機能が登るために必死に活動していようと、自然の中に息ずく植物や生き物の営みや絶景を見るにつけ、気持ちの中では楽しい気分になるのである。
苦しさの中に自分の限界を探し、もう少し、あと少しと力を出しきる自らの戦い、その結果、登頂を達成したときの高揚感たるや、まさに成し遂げた人にしかわからない快感とも言えるだろう。

蓼科山より八ヶ岳を望む

そして遂に成し遂げたとき、頂上での酷使した身体をいたわる休息と食事の儀式は、また山の愉しみのひとつであるが、絶景を見ながらのお茶というのも贅沢の極みである。残念ながら、登山者の多くは珈琲を楽しむのが常識のようだ。しかし私は当然、紅茶を楽しむ。
山で紅茶というのは、実は登山を更なる高みへと誘う楽しみであり、登山のご褒美として与えてくれるものだと思う。当初はダージリンが取れた標高でダージリンを飲むのがオツだなどと冗談のように言っていたのだが、山で紅茶を飲むにつれ、山と紅茶の浅からぬ関係をすっかり意識することになった。
今回は旅の目的地のひとつとして山を捉え、山と紅茶に関する話を少し。

紅茶と山の深い関係

尾瀬 八木沢道 倒木

私が登山においてバイブルとしている古い書籍がある。
明治生まれの日本人登山家、槇有恒(マキアリツネ)の「山行※」である。槇有恒は登山家なら知らない人はいない近代登山界のパイオニアであり、1989年に亡くなった登山界の偉人である。
日本には、まだ登山道具も技術もあまりなかった時代、ひとり、ヨーロッパに渡り、アルプスで技術を習熟し、ヒマラヤの8000m級の山「マナスル」に日本人として初めて登頂を成功させた登山家である。
その著書「山行」はヨーロッパでの登山日記を中心に描かれたものであるが、今読んでも、登山の魅力が伝わってくる良書であり、特に登山に関する想いや、今では当たり前になった登山の道具や技術を当時の先進であったヨーロッパから伝えている、その内容は、一部の冒険家の目的地であったり修業の場所であった山を一般の人々に開放してくれたように思う。その槇有恒は今日でも日本の紅茶と深い関係があるのを知っている人は少ない。

槇有恒はマナスル登頂の際、登山隊をサポートするシェルパ(ルートの案内や荷物運びなど様々なサポートをする現地スタッフ)の編成にあたってダージリンにて茶園を営むイギリス人、ヘンダーソン夫妻に支援をお願いした。ヘンダーソン夫人は当時ヒマラヤクラブの支部長であり、シェルパ達から絶大な信頼を得ていたため、世界中のヒマラヤを目指す登山家に頼られていた人物である。残念ながらその茶園はインドの政治的変化により閉められてしまったが、エベレストなど世界最高峰の山々への挑戦も紅茶農園に支えられていたのである。

※「山行」槇有恒著 中公文庫 文庫判2012年初版 / 初版本:改造社版 大正12年

鹿児島大隅半島 べにふうき茶畑

最近、和紅茶ともいわれる国産紅茶が各地で人気となっている。静岡、九州を中心に南は沖縄から北は新潟まで産地が広がり、地域おこしの一環で地方のアンテナショップや空港のお土産コーナーでも見ることも多くなった。
国産紅茶の作り手は、これまで緑茶との兼業農家が多かったのだが、最近のブームからか紅茶の専業農家も増えている。私も鹿児島あたりに伺って茶摘みに参加させていただいているのだが、生産地が近くなるのはうれしい限りである。食生活の変化も関係しているのであろうが、近年は外国ブランドのイメージ一辺倒であった紅茶のイメージも変わりつつある。しかし、まだ、インドやセイロンなどの大生産地と張りあうようなレヴェルに量も質も達していない。
実は遡ること数十年前、日本はすでに国産紅茶の全盛期を迎えていた事を今では人々の記憶から忘れ去られようとしている。

国産紅茶の始まりは、明治7年(1874年)というから実に140年以上も前に遡る。
当時の日本は紅茶製造の技術がなく、静岡に移住し茶栽培に取り組んでいた旧幕臣である多田元吉(現在は近代日本茶業の父といわれる)を時の明治政府がインドとセイロンに派遣し、現地の技術を調査させ、持ち帰ってきたものを国内で伝えたことに始まる。その成果として、国産紅茶が昭和12年に史上最高の輸出(6,445t)を記録したことは、今の国産紅茶の現状(生産量:約120t/年)を知ると結びつかない事実である。

現在の国産紅茶は近年造られた国産品種「べにふうき」を栽培し、紅茶原料としている農家が多い。実はこの「べにふうき」、多田が1887年頃インドから一緒に持ち帰ってきた種子から選抜された品種「べにほまれ(アッサム種)」を母とする。実は交配された父にあたる品種「枕Cd86(マクラチャイナダージリン86の略)」という品種はダージリン系のもので槇有恒がマナスル登頂の際、1956年にインドから持ち帰った種子を鹿児島県に寄贈したものである。

スリランカ・ヌワラエリヤ

つまり、今の国産紅茶の中心となっている「べにふうき」の存在は登山家、槇有恒のマナスル登頂がなければ、なかったかもしれない。そしてその山、マナスルのあるヒマラヤ山脈において、その周辺には有数の紅茶産地ネパール、同じく8000m級カンチェンジュンガ山を眺める高所にインドのダージリン地方がある。1200m以上の高地で摘まれる茶葉はハイグロウンといわれ珍重されるが、インドのダージリン、セイロンのヌワラエリヤ、ネパールなどは2000m前後の高地であり、それぞれ独特の香気を伴った香り高い紅茶を産出する。まさに登山で登るような高所に美味しい紅茶が生まれているのだ。言うまでもなく、これらの産地は空気が薄く、時にはガケのような過酷な環境で茶樹を栽培している。摘採するにも足を滑らせたりして一筋縄ではいかない場所である。まさに登山をするように産地の山ガールは涼しい顔で茶摘みを行う。山と紅茶を結びつける不思議な縁を感じて止まない。

日本の水の源

フィーユ・ブルー登山部

もうひとつ、日本では紅茶と山の関係で忘れてはならない茶の相棒が存在している。日本の水である。我が社でも最近登山部という会を行った。
フィーユ・ブルーの紅茶は日本の水にあわせてブレンドしているとお客様に謳っているのだから、当然私たちは日本の水を知る義務がある。そのためには登山は必然であった。
日本には100名山を中心に2000m級の山が800座以上ある。まさにダージリンをダージリンの標高で飲むのにうってつけであるのだが、山と紅茶の関係で最も大事なのは水である。
壁のように連なる山々が日本を潤していることは万人が知る事実でありながら、多くの人が山から生まれる水本来の美味しさを知らない。

一般に紅茶といえば、茶葉のクオリティで紅茶の美味しさをイメージしているが、成分量で考えれば圧倒的に水が主体であるわけだから、実際は水に味や風味も左右されるのが紅茶である。日本の水のほとんどは軟水であるのは、今や何処の紅茶会社でも云っているので言うまでもないのであるが、同じ軟水でも味わいは千差万別で個性がある。それを行った山々で楽しもうという趣向である。そして水だけでも美味しいのだから、紅茶にして美味しくないわけがないというのが、「日本の水で楽しむ紅茶」の意味である。

尾瀬ヶ原 見晴し

実際、登り疲れ、熱った身体に冷えた山の湧き水のおいしさといったら、他に形容し難い。ありがたいことに日本の山々は登山者に飲めといわんばかりに水が湧き出でるところが用意されている。
日本は国土のおよそ7割が山である。そして海抜500m以上の山域も国土の25%を占めるという山岳国である。日本の水の源はこの山々の存在に由来する。狭い国土に多くの山があるおかげで新鮮で美味しい水が豊富に作られる。雨、雪など山で蓄えられた水が、涌き出で、やがて集まって川となる。国土の中心に位置する山は特に高い山が連なっており、太平洋側に流れてくる水と日本海側に流れる水と別れる場所がある。その山々を尾根で繋いでできた分岐点は分水嶺と呼ばれ、生まれたばかりの水が湧き出る水源はその付近にあることが多い。

前置きが長くなってしまったが、我が登山部はそうした水を酌んで頂上で飲む紅茶を楽しむ事を目的に開催した。あいにくの悪天候での登頂となったが、麓で白根山の伏流水を汲み、無事、参加5名全員が登頂を達成し、みぞれの吹雪く日光白根山山頂(2578m)で紅茶を飲む目的を果たすことが出来た。

山の名水

尾瀬 岩清水

日本の山で飲む水の美味しさは成分だけでは語り尽くせない旨味を持っている。ちなみに名水百選などの名水は主に河川や湧水、井戸など平野に近いところで採取できる水から選ばれるので、山の湧き水(水場)が名水として紹介される事はない。辿り着いた者だけに与えられる特典として、生まれたばかりの、より新鮮な水を楽しむ事ができるわけ。
今はどこの国の水でもペットボトルで買える時代になった。我が社でも日本中の水を集めて確認はしている。しかし、元は美味しい採取地の水でも、ペットボトルで飲んでみるとそうでもなかったりする。採取時の問題もあろうが、多くの場合、詰めてから時間が経ってしまったり、消毒のため、熱をかけた結果、水が生きていないからである。
水はミネラルの他に酸素の含有量によっても美味しさに差が出やすい。ペットボトルの水は酸素が抜けてしまう為、私たちは紅茶を淹れるお湯を用意する際は水道に水を浄水したものの方を勧めている。流れている、酸素がたっぷりの水こそが生きているからである。
都会に住んでいるとどうも衛生概念からか、無菌のものや添加物の入った食料品が安全で美味しいと勘違いしてしまうことがある。野菜などの食料品や水が山などの自然においてつくられていて、私たちが踏んでいる土や石などの中で育ったり、浄化されたりして出来ているのを忘れてしまっている。自然の味は清らかで甘く、私たちの舌やのどを潤してくれるのだ。

苗場山 雷清水

紅茶が美味しく感じた山の水の採取地(関東の水場)を旅コラムらしく、参考までにお勧め順にご紹介したい。

1.苗場山・雷清水
尾瀬ヶ原のような無数の池塘が頂上に広がる水が豊富な苗場山。麓ではスキー場やロックフェスでポピュラーな山であるが、スキー場よりさらに上に下界と隔絶された花と生き物の楽園があることを知る人は少ない。雪が解けるころには花が咲き乱れ、池塘に虫や動物が集まる。頂上より少し下ったところにある湧き水は、これ以上ない程の美味しさを誇る。麓が魚沼をはじめとする有数のコメ産地なのもこの山があってこそ。紅茶にしても素晴らしく美味しかった。

2.南アルプス・北沢峠の湧き水
3000m級の甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳の登山口であるこの場所では、いくつかの湧き水を発見できる。南アルプス天然水の元祖であり、一年を通して流れる雪解け水は冷たく美味しい。

3.尾瀬ヶ原・見晴しの湧き水
山小屋が立ち並び尾瀬ケ原を一望できる「見晴し」という場所は、目の前にそびえる東北地方最高峰の燧ヶ岳の伏流水で尾瀬ヶ原の池塘を潤す源でもある。紅茶にした時に茶葉の個性が明確に感じる美味しい水である。只見川につながり、日本海側に流れる水系である。

4.日光白根山 丸沼高原・白根山伏流水
日光白根山の麓にある丸沼高原スキー場の入り口にあり、車で気軽に行ける取水場所である。白根山の伏流水を引いて、この地で取水できるようにしている。

5.尾瀬国立公園・尾瀬三平峠の岩清水
尾瀬沼から大清水というところに抜ける峠の途中にある。分水嶺の直下にあり、周辺の山々から湧き出てきた、少し硬い感じのする水である。利根川の源流につながる水系でもある。

日本の食文化で欠かせない軟水

尾瀬 燧ヶ岳と尾瀬沼

山では私たちが普段から山の恩恵を受けていることを意識させられる。日本人の繊細な味覚も水が育ててくれたといっても過言ではない。軟水は私たちの口に入れるもの全てに影響を与える。紅茶は、水(お湯)に発酵させた茶葉のエキスの美味しいところを抽出したものである。同様に出汁を基本に調理する日本食もエキスの出やすい軟水であることによって生まれた文化といえる。食物は総じて淡泊であり、味付けも薄く、そのおかげで素材の旨味をしっかり感じることが出来る。コショウや塩など多くはいらない。

尾瀬 アヤメ平

イギリスを始めとするヨーロッパやアメリカ、東南アジアでさえ、ミネラルたっぷりな硬水の場所が多く、日本のような繊細な出汁は生まれない。逆に日本の水で海外の料理を行う場合や外国メーカーの紅茶の抽出においても気をつけないとエキスが出すぎてしまう。紅茶の場合、それが強い渋味やエグミにつながることが多い。

イギリスでは、飲み終わるまでポットに茶葉を入れっぱなしにするのが普通である。だから日本では紅茶がうまく入らないと言う話をよく聞く。日本の水には、それに合わせた紅茶ブレンドが必要であり、短時間で茶葉を取り出す必要もある。しかし、それさえ守れば、日本でもイギリスや産地で飲む紅茶を凌駕する味わいに出会うことが出来る。また日本の水で紅茶を抽出するには茶葉にも相当な実力を求められる。短時間で抽出される為、茶葉の粒度(サイズ)やブレンドバランスがおのずと繊細になる。数グラムでブレンドされた数種類の素材から均等に抽出を促すためには、ティーバッグによって、正確にバランスされたパッケージである必要はそのための必然であったのだ。

そう、自然や山は私たち紅茶業を営む者にとって大切な道標であり、自然から生まれる本来の紅茶の美味しさを大切にすることで、私たちは自然の恩恵を多くの人に届けたいのだ。日本においては山の恵みである素晴らしい水を使って山頂で多くの人が紅茶を飲む姿をみることが私たち紅茶メーカーとしての未来であり、私個人としても日本の紅茶文化の発展につながる事として期待したい。