紅茶型録ーTEA Catalogue

この連載ではティーブレンダー 熊崎俊太郎が生み出してきた数多のブレンドティーから気まぐれにひとつを挙げ、そのとき考えていたことともに、ブレンドについてのあれこれを私家版の≪紅茶型録≫としてお伝えしていきます。

フィーユ・ブルー ティーブレンダー:S.Kumazaki

プロローグ/ティーカタログ①

スタートは紅茶缶を並べて眺めること

小学生のとき。家に届いた紅茶贈答品のカラフルなパッケージと華麗なデザインに惹かれ、紅茶に興味を持ち始めた。

もちろん最初は、紅茶を飲んでみても風味の差異など強く意識することもなく、「あ。緑のラベルと黒いのと、紅茶の味が違うぞ?」程度のもの。何よりも集めた空の紅茶缶を並べて眺めることに、一番の達成感があった。

子供というのは、自発的な興味で動いた結果に加え、身近な大人たちが生活する姿を見て、これはイイ=合う、イヤダ=合わない、という所感の積み重ねによって価値観を作っていくように思うが、どうだろうか?
親や親戚が、アウトドア派かインドア派か、スポーツ好き(観戦派/実践派)、音楽好き(鑑賞派/楽器演奏派)、テレビを見ているときの反応、ショッピングや外食、旅行での振る舞い方……まだまだある。

自分の場合は、商社マンで海外を飛び回っていた伯父の影響をかなり受けたと感じている。休日に親に連れられて伯父の家に遊びに行くと、アルバムに整理された世界各地での思い出の数々を見せてもらえた。センス良くレイアウトされた写真と、添えられたホテルのパンフレットや航空会社のチケット、レストランのコースターやマッチの箱のラベル(コレクターは燐票と呼ぶ)といったものに、心躍る思いがした。同時に、そういった断片にはすべて、このアルバムに収まるに至ったエピソード、つまりそれを懐かしそうに話してくれる伯父の経験と、訪問先の様々な文化という背景があることに、確かな存在感と強く大きな魅力を感じた。この価値観が、現在の仕事をする自分の立脚点になっているのは間違いない。

紅茶の缶やラベルを、単に集めるだけでなく、自分も意味を持って並べておきたい……伯父からの影響でそう思ってはいた。しかし、自宅と近所、親に連れられて行く外出や旅行程度の実体験しかない小学生には、そこに意味を持たせるには、空想の設定が必要だった。そこであれこれと自室でヘンテコなことをするのだが、その話はまたの機会にしよう。こんなところも、現在のスタイルやモチベーションにつながっているのでは?と、今更ながらに思う。

 

さて、紅茶(というよりはパッケージやラインナップ)に興味を持って集め始めると、次は紅茶メーカーのパンフレットだ。これらを親とデパートに行った際などに入手し、持ち帰っては眺めるようになった。今となっては、何でも勝手にすぐ捨ててしまう両親ではなかったことに、改めて感謝。
すると「あ、この紅茶は飲んだことがない。あれ、これは飲んだけど別の会社にもダージリンがあるぞ。何が違うんだ?」と、趣味の世界でいう≪図鑑埋め≫が始まったのだが、そこは小学生のことだ。購入に走れるわけもなく、今度はどの紅茶が飲めるかな、とせいぜい期待して待つばかり。しかし、お歳暮、お中元、御礼などの贈答品といえば昭和の当時、現代ほど贈り主の個性をアピールするような風潮も無く、手堅い風味の商品がセットされており、結果として毎回同じような種類の紅茶ばかり届いていた、という落ちがつく。
もちろんそれはそれで、家に届いた紅茶はどれも美味しく感じられた。いうなれば自分の身体に合ったのだろう、この時期に紅茶が好きになったことは間違いない。

さらに後年、中・高・大学生となって紅茶の本や雑誌の記事にも触れるようになると「世界にはこんなに色々な紅茶メーカーがあるんだ……でも、すごく種類の多い会社と、少ない会社があるぞ。あれ、同じ会社で複数のブランドをやっているところがあるぞ?」といったことにも気づくようになった。また、集めていたカタログを改めて見返してみると、同系統の商品でもメーカによって説明の仕方に差異がある、同じメーカーでも年によって商品の改廃がある、といったことも判ってきた。とはいえ、ただの自称紅茶好きの学生は、この時点ではまだ、カタログを通して≪世界の広がり≫を感じ取れること、それだけで十分満足していた。